放浪記 ~ ドルヲタの10年 ~

2011年~2013年(小学校低学年、中学年あたり)

プリティーリズムを好きになる。多分1番ちゃんと見ていたのはディアマイフューチャー。

dボタンでできる着せ替えみたいなのを狂ったようにやっていた記憶がある。

プリティーリズムの曲を歌っていたPURETTYに出会い、同じ事務所でお姉さんグループのKARAを知る。KーPOPの沼に落ちる。

2012年~ 

完全にKーPOP沼にドボンしはじめたくらい。

なんかのイベントか収録か何かでPURETTYとKARAそれぞれに会いに行ったけど、昔すぎて何一つ記憶が無い。PURETTYはサンシャインの噴水前だった気がするけど調べても出てこないから記憶違いな気がする。ちゃんとしたLIVEではなかった。

基本的にKARA少女時代のMVをずっと見ていた。

2014年~

このくらいに友達と姉の影響で一瞬ボカロに触れた気がする。カゲプロみたいな有名どころが多かったと思う。空想フォレストとか如月アテンションが好きだった記憶はあるけど、多分そこそこ秒で飽きた。その後洋楽にハマる。

1番好きなのはTaylor Swift、あとはディズニーチャンネルが好きで、流れで海外ドラマや洋画も好きになった。小学校に洋楽を好きな人がいなくて、誰にも話が通じなかった。周りがジャニーズとかボカロとかAKBが好きな中で、1人で英語の曲を歌って変な目で見られていた。

ニコルやジヨンが抜けたこともあって、KARAやKーPOPからちょっと離れた。

2015年

Taylor Swiftのワールドツアー 「1989」に行く。

多分人生ではじめてのちゃんとしたLIVE、生のパフォーマンスに圧巻されてLIVEが好きになる。

Lヲタの友達の同行者としてLDHの現場に入り始める。

2015年~2016年 

周囲でTWICE、KーPOPが徐々に流行りだす。何故か分からないけど凄くTWICEが好きだったわけでもなかったのに、興味本位でTWICEのデビューメンバーが決まった番組、SIXTEENを見る。初めてのサバイバル番組。デビューメンバーじゃなくて、ソミを好きになる。

ソミが出演することになったので、PRODUCE101(プデュ シーズン1)を見ることになる。終わりの始まり、勘弁して欲しい。

2016年~

完全にKーPOP狂い。

プデュでデビューしたI.O.Iが1番好きだった。またしても日本での知名度がほぼないので、コアなTWICEファンくらいにしか話が通じない。LDHの現場に行きつつマイナーKーPOPアイドルが好きな変な人という烙印を押される。(実際に友達に言われた。)

プデュで出来たグループは基本的に期間限定なので、2017年1月いっぱいでI.O.Iが解散する。絶望する。I.O.Iのメンバーがいるグループ(PRISTIN、宇宙少女など)を推しながらも、プデュシーズン2で心の穴を埋めはじめる。最悪のサイクルにハマる。プデュ2からデビューしたWanna Oneというグループにどっぷり浸かる。

2018年3月

解散まで1年切り、自分のWanna Oneへの心酔具合に危機感を覚える。このままではやばいと感じ、受験が終わり暇なので友達に色々なものを布教してもらい、Wanna Oneから逃走を図る。

坂道、ハロプロ、スターダスト、バンド系、俳優女優、声優、スポーツ選手、アニメ。

そしてジャニーズ

布教されたものを片っ端から見始める。元々運動好きなのでスポーツ鑑賞にハマる。運良く(悪く?)、ジャニーズJrチャンネルがそのくらいのタイミングで始まったので、それも見るように勧められる。

2018年

といった感じで様々なジャンルに触れながらJKになるが、何故か初バイトの給料を日本でイベントやライブをするヨジャドルにつぎ込む。いい加減にした方がいい。

WekiMekiとか、gugudanとか、Dreamcatcherとか、LABOUMとか(誰か知っててくれ~ᐪᐤᐪ)、高校行かなくなると同時にバイトも辞めたのでそのお金が尽きるまでこんなことをやってた。

その頃には周りのLヲタが降り始めていたのでLDHの現場も行かなくなっていた。(たしか2018年10月位のたまアリでのソロコンが最後。)

2018年8月

本格的に友達があたしをジャニーズに引きずり込もうとする。サマパラに連行される。

色々起こる(ぼかしすぎ)。ジャニヲタの洗礼を食らう、ビビりまくる。

2018年末~2019年始

SixTONESのことを大分理解してきたころ、多分。

個人的に精神状態がやばくなる。

そしてついにWanna Oneが解散する。

2019年

チェンエラに連行される。

過呼吸を起こして、いよいよ精神状態がやばいから社会復帰をしようと決意する。

久しぶりにバイトをして、そこでの初給料で情報局入った記憶がある。

それから色々あった、デビュー発表とか、色々。

2019年下半期~2020年始

地獄だった。戦争だった。

大学受験を視野に入れて、受けなければいけない試験があった。その勉強をしながら戦ってた。

(茶の間程度にKーPOPを見ていた。あたしの好きな女の子達はどんどん大きな舞台から姿を消していった。オーディション番組も、そっちはそっちで不正疑惑、解散と地獄だった。)

2020年

コロナと受験勉強で正直あまり覚えていない。

ブログを活力にしていた。

2021年

大学に受かる、入る。

部活に入って自由時間が無くなる、細かい情報まで追うのを諦める。

オリンピックが超楽しい。

韓国で新しいオーディション番組が始まって、数ヶ月そっちにのめり込む。

2021年末~2022年始

部活が一時的に落ち着き、ツアーが始まるということもあってモチベが急上昇。

好きなスポーツ選手がイタリアに行く。

もうあたしの好きなKーPOPではないのかもしれないということにやっと気づき始める。

2022年 夏頃~2023年始

いよいよSixTONES以外にお金の使いどころが無くなる。部活が忙しく、稼げるお金にも限界があるから、まあそれでもいいのかもしれないと思い始める。

2023年2月

チケットが無い。

 

 

 

 

 

 

 

アイドル解釈評論

-まえがき-

ケーキ屋さんでのアルバイトは単純作業が多い。ひたすら生地を丸めたり、ケーキにフィルムを貼ったり、焼き菓子の包装に箱折り、慣れればほとんど脳は使わない。無心で作業だけに集中するのが苦手な私の脳内はいつもしっちゃっかめっちゃかで、締切の迫ったレポートについて考える日もあれば、自分の人生について考えている時もある。その中で時たま行われるのがアイドルについての脳内討論会だ。こんな名前をつけているが、実際のところ私が頭の中でああでもないこうでもないと勝手に考えているだけでしかない。

なぜこんな話を長々としているかというと、この文章の"程度"を示すのに手っ取り早いからだ。詳しいデータや参考文献がない時点で察するところではあるが、何かの善し悪しを決定しようというわけではなく、特定の誰かや何かを批判する意図ももちろんない。大学で批評を学ぶいちヲタクが、己の語彙力と言語化能力の低さに苦しみながらちょっと思ったことを書き連ねた、ただそれだけの文章だと理解したうえで読み進めて頂ければ幸いだ。

 

-はじまり-

自分はいったい何をしているのだろうか?という感情が、今回の脳内討論会の始まりだった。自分のヲタク人生を振り返ると、多分所謂一般ヲタクであった時間の方が短い。しかし、今のアカウントを使うようになってから、いやスペースをしてからか、今まで以上によく分からない方向に自分が向かっているように思う。もともと、「アイドルにとって売れることは本当に幸せなのか?」というようなことを悶々と考え、深夜に字数上限ギリギリのツイートを連投するような、訳の分からない人種(ヲタク種)ではあった。(ちなみにこの問いに対する答えは4年以上経った今でも出ていない。)しかし、考察ヲタクとはかけ離れていたし、アイドル個人のアイデンティティにまで考えをめぐらせることはほとんどなかったはずだ。

ほくとくんやすとーんずとの出会いが今まで通ったジャンルと違い、自分の精神面との繋がりが強いのは関係があるかもしれない。(長くなるので割愛するが、いずれまとめたいと思っている。) MBTIのような心理テスト的なものが好きで、文芸批評を行う上でも物語の世界観などよりも人物に関することをトピックに選ぶことが多いので、そもそも自分自身との親和性が高かったのもあるだろう。

 

実在の人を、そのキャラクターを
"解釈"するのは本当に楽しい。

 

こうして文にするとなんともグロテスクさが増す。この行為が憶測に憶測を重ねて確証がない状態で好き勝手に騒ぎたてるのと、何が違うのだろうかと思うことも多い。それでも楽しいと思ってしまう。楽しいからやめられないし、やめたくても脳みそは勝手に動き続ける。人間とは、ヲタクとはそういうものだと思う。(サークルや鍵垢という閉鎖的なところで羅列しているので、許されたい。ごめんなさい。)

 

-言動と思考-

ある特定の発言と発言、行動と行動、発言と行動を結びつけて、この人はこういう人間である、この人はこういうアイドルであると"解釈"する。生い立ちも、経験も、その人の全てが"解釈"の要素となる。過去も現在も未来をも喰い尽くす、最強の消費だ。

しかしそもそも人間の言動に常になんらかの思考が伴っている、なんてことはあるのだろうか?「こういう意識のもと、こういう行動をとった」と自身で認識していても、実際のところ単に理由を後付けしているだけという場合も多い。急に、私が普段考え無しに言葉を発したり、行動を起こしているだけなのではないかと不安に襲われる。いや現実的に考えて、一挙手一投足に思考を伴わせるなんてことは誰にとっても不可能であるはずだ。

部分的か全面的かの差はあるが、その人の本来の人格とは異なる人格を作り出していることの多いアイドルは、人よりも意識して発言や、行動をしているように思う。それでもやはり、(ファンが合法的に観測できる範囲内と限定しても)常に自身の言動を意識下に置き、自分が作り出した人格に内包させるのはかなり難しいはずだ。

だからこそ、言動と思考が常にセットであるということを前提とした"解釈"は、少々浅はかに感じる。一方で、よくいわれているように人間の深層心理が言動に現れるのであれば、第三者からの"解釈"という名の理由付けがある意味正しい可能性もある。

 

-アイドル人格の独立性-

人は誰しも多面性を持っているが、思考を伴わない言動は通常その人の1番根っこに近い部分が現れると思う。同じ理論でアイドルについて考えると、思考の伴わない言動の根底にあるのは、作り上げた人格ではなくアイドルその人自身の人格に近いのではないか。

アイドルとしての人格と自己を限りなく同化させたり、アイドルとしての人格が自己を占める割合が高くなれば、思考を伴わない行動にも、アイドル人格のキャラクター性が反映されるだろう。しかしそうなるともはやアイドル人格が独立しているとはいえなくなるのではないか。本来の人格とは一定の距離があるはずのアイドル人格のキャラクター性が、アイデンティティにまで侵食している。また本来の人格よりもアイドル人格が自己を占める割合が高いのであれば、それはアイドルに限定された人格に留まらず、その人の本質へと近づいているのではないだろうか。

アイドルの発した言葉や、取った行動にどうしようもなく心惹かれたとき、いったい何に惹かれているのだろう。作られていないその人自身に対してなのだろうか、あるいは綿密に作られたアイドル人格か、はたまたアイデンティティにまで侵食しているアイドル人格なのだろうか。その時見ているのは、触れているのは、アイドルを生業とする人間のいったいどこの部分なのだろう。

アイドル自身のアイデンティティと、アイドル人格が複雑に絡まりあっているのなら、その人のアイドルの部分だけを"解釈"し、消費するなんてことは不可能なのかもしれない。仮に独立したアイドル人格が存在していたとしても、作られた人格を常に演じ続けられるほど人間は器用では無いはずだ。どの言動がアイドル人格によるもので、どこにその人自身のアイデンティティが現れているかなど、私たちにはわからないのだから、それらを都合のいいように繋ぎ合わせた"解釈"は単なる妄想の域をでない。思っているよりもずっと自分の"解釈"は整合性がなく、毛利小五郎の迷推理レベルでしかないのだろう。

 

-批評と解釈、矛盾をどうとらえるか-

こんなことを言ったらきっと教授に怒られてしまうが、こうしてひたすら考えを巡らせていると自分の考えがただの逆張りなのではないかと思うときがある。「批評の第一歩は正しい批判的思考を育てることだ。同時に、批評は『批評とはすなわち批判である』という誤解から脱却しなければならない。」という言葉を思い出す。

批評の面白いところは、正解のないところだ。明らかに事実と異なる、明らかにテクストと異なる場合は間違った批評とされるが、整合性がありきちんと道筋をたてればどう批評するかは自由だ。同じ作品を読み、同じトピックを選んでも、異なる批評をし、異なる結論を導きだすことができる。

アイドル解釈は批評と似ている。アイドルを作品だとするならば、どう見たり、読んだりするかには一定の自由がある。難しいのは、生身の人間には説明できない多くの矛盾が存在する点だ。矛盾のない人間なんていないし、むしろ矛盾とは人間らしさであると思う。文芸作品などにも矛盾がないことはない。しかし矛盾そのものに何らかの意味付けがされているか、戯曲などであれば加筆修正されていく上で生じる場合も多い。あとは単純な誤植とかそんな程度のものが多いように思う。

アイドルについて"解釈"するとき、私たちはしばしば自分の"解釈"と矛盾する要素を無視する。ある意味それは正しい行動ともいえる。批評もまた、自分の述べたいことを支持するような要素だけを拾っていく作業だからだ。あけすけな言い方をするならば、こじつけのようなものである。(ここでまた教授に怒られる。)

アイドルとは偶像だ。だからこそ完璧でいて欲しい、あるいは自分の思う理想のその人であって欲しいと思ってしまう。でも実際そこに居るのは生身の人間で、矛盾を孕んだ人間が作り出し、演じているアイドルにも当たり前のように矛盾が付きまとう。アイドルの"解釈"を批評とするのであれば、本筋に関係の無い矛盾をある程度無視するのは1つの手だ。一方で、矛盾があるのが人間またはアイドルであるのであれば、矛盾を無視したとき、果たしてそれは本当にその人やその人の作るアイドル人格の本質を捉えているといえるのだろうか。

矛盾に意味付けされている文芸作品があるように、人間の矛盾にも何らかの意味を持つ場合があるのではないか。そうした矛盾が人格形成に影響を与えている場合もあるだろう。"解釈"する上で、矛盾を邪魔な要素とするのは早計なのかもしれない。

 

-≠結論-

どうにかここまで辿り着いたが、なにか明確な結論は導き出せていない。この文章は批評としては不十分だろう。それどころか間違いなく私の言動とこの文章は矛盾しているし、これだけ長ったらしく書いたにも関わらず、私は今日も明日も軽率な"解釈"を繰り広げるのだと思う。そもそもこの文章自体が、"解釈"の"解釈"である。私にはただ、最大限アイドルに迷惑がかからないように、そして自分に何らかの火の粉が降りかからないように(保身)、こそこそと生きるしかないのかもしれない。

繰り返しにはなるが、これは私が頭の中でグルグルと考えていたことを、どうにか文章にまとめただけのものだ。ここまで読んでいただけたのであれば分かると思うが、データもエビデンスもなく、文章の構成も意味不明できちんと道筋も立っていなければ、終着点もよくわからない。大事なことなので何度もいうが、私個人の考えであって、誰かや何かを批判する意図はない。億が一にでもこの文章が誰かに影響を与えるのであれば、それは単なる問題提起(話題提供)であればよいと思う。

 

-あとがき-

ここまで読んで頂きありがとうございます。
なんとなくブログを書くとしたら、1番初めは沼落ちブログのようなものだろうと勝手に考えていましたが、こんなよく分からない文章になってしまいました。最近なんとなくグルグルと考えたことを今ならまとめられるような気がしたのですが、そう上手くはいかず……。見切り発車故にとりとめのないの文章になってしまいましたが、多分現在の私の思考力と文章力ではこれが限界のように思います。なので、色んな方にご意見いただけるととても嬉しいです!